怒り狂った父は包丁を持ち、兄に迫った

 タイトル詐欺でも何でもなく、本当の事。あまりにも悪行が過ぎる兄に父は包丁を持ち出して怒り狂い、小学生だった私は泣きながらそれを見ていた、という記憶。記憶が適当でいい加減だというのならいっそ記憶違いであればいいのだけれど、残念ながら本当の話なので困る。

 そりゃあ、そんな修羅場を見せられたら子供は恐怖に震えるだろう。恐かった。でも、心のどこかで「でも兄だって悪い事をしたんだし」と思う自分がいて、今となってはそう思っていた自分の方が少し恐い。どうしてそんなに冷めていたのだろうか。正常性バイアスとも何か違う……何だろう、やっぱり分からない。

 その頃の兄といえば高校を出たか出ないかというあたりで、それはもう遊び歩いて家に帰ってこなかった。母が言うには父が恐かったから、らしい。ずっと単身赴任で父も私も兄も、親子としてどう接して良いのかよく分からなかった。特に兄は加減無しで怒鳴られ、狭い平屋の借家という事も災いしてか、父が家にいると居場所が無かったのかもしれない。平たく言うと、グレた。

 遊ぶ金欲しさに母の財布からお金を抜き取ったり母の定期を持ち出してお金に換えたり、それはもう色々やったそうだ。父の車からガソリンも抜いた。当時にしては高額なビデオデッキを質草にした。月の電話代が月4万近くになった。私の小遣いも取ろうとした。いやそれは私が交通費として持たされたお金を「送っていくからその金をくれ」と言ってきたのだが、何か悪い事のような気がすると思った私はそれを断り、唯一の兄妹喧嘩となったのだった。

 一方、父は見た目が強面で、寡黙で割と好戦的な性格だった。曲がった事が大嫌いで仕事一筋。そういう面は尊敬出来るのだが、やはり喧嘩っ早いのは困り者で、晩年まで周囲を困らせた。子供には優しい一面もあるらしい。しかし残念ながら単身赴任でほとんどいなかったので、ほとんど記憶に無い。記憶があるのは単身赴任を解消して一緒に住み始めた頃からで、引っ越しだ転校だと生活が激変したおかげか、私の中では父の事も「生活の変化」のカテゴリに一緒に放り込まれ、なかなか馴染めなかったのを覚えている。私ですらそれなのだから、兄は尚更馴染めなかっただろう。兄の事になると苦虫を噛み潰したような表情をする母ですらも、父との関係に関しては一定の同情を見せていた。

 どういった理由で包丁を持ち出されたのかは覚えてはいないが、確実に分かるのはお金が絡んでいるという事だ。不幸中の幸いというか何というか、親が包丁を持ち出しても「そんな風に脅してもいいんだ」とは全く思えぬまま大人になった。これがトラウマになっているという事は全くないと自分では思っているものの、一生笑い話には出来そうにない。そんな出来事だった。終わり。