般若の母

 幼少の頃、家に般若の面の飾り物があった。それを見た私は、素直に、それはとても素直な気持ちで思った。「母に似ている」と。恐らく怒っている顔が般若に似ていると思ったのだろう。

 母は、よく怒っていた。昭和の時代にはよくある事だと思うが、バチンと頭を叩かれた事も多々あった。よく「ばかっけ!(方言で馬鹿)」と怒鳴られた。舌打ちしながら箱ティッシュを壁に投げ付ける行為はかなり嫌だったが、それよりも何よりも嫌だったのは無視される事だった。「もう知らね!」という旨の言葉を吐き捨てられ、無視されるのが一番嫌だった。それが嫌で立ち尽くしてグズグズ言っていると「しつこい!」と更に怒られた。

 これらは単なる「躾」だったのか。怒られた理由が思い出せないので今となっては判断する術も無い。ただ、母以外の人(学校の先生など)に怒られた記憶というものは、怒られた理由とセットで覚えている。この違いは何だろう。

 家族以外の他人から怒られるという事は、普通に生活していたら滅多にあるものではないだろう。言わば「非日常の経験」だからこそ記憶に残るのではなかろうか。そういう意味では、私は母から怒られる事が常態化していたのかもしれない。

 また、学校の先生は「怒る」ではなく「叱って」いたように思う。まぁ中には叱るを通り越して理不尽な怒りをぶつける先生もおられたが、それはそれ。大抵の先生は「何故叱っているのか」という理由を明確にし、こちらにも分かるような言い方をしてくれた。しかし母はどうか。頭ごなしだった。「叱られた」記憶より「怒られた」記憶ばかりだ。理由を覚えていないのは、頭ごなしに怒られてばかりなので理由を理解していなかったのではなかろうか。もしくは、理由など無かったとか。いやさすがにそれは無いと思いたい。

 それともう一つ、母がカリカリしていた理由がある。兄の存在だ。母曰く私とは正反対の性格で、悪童がそのまま成長し不良に足を突っ込んだような存在だった。個人的には「天性の詐欺師」だと思っているが、それはまた別の話。そんな兄に母は手を焼いていた。父は単身赴任で家におらず、一人で兄に振り回されていたのかもしれない。多少は同情するが、兄がそうなったのは親の育て方にも原因があるんじゃないのかなぁと、割と雑に育てられた身としては思ったりもする。言うと怒るだろうし今更言ったところでどうにもならないから言わないが。

 こんな環境で育つとどんな大人になるか、こんなダメな大人になるんですよ。夢も無ければ希望も無く、小心者で自分に自信が持てない、そんな大人になるんです。気を付けて下さいね。と、主張していきたい。