きっかけは、塩

 毎朝コンビニで買い物をするのを阻止するという切実な思いの下、パンを焼こうと画策した。1回目はそれなりに成功したものの、2回目はいくら捏ねても生地の伸びが悪く、おかしいなぁおかしいなぁとドッタンバッタン捏ね回していた。そんな時、母が言った。

「買った方が早いんじゃない?(笑)」

 一生懸命やっているのにどうしてそういう酷い事を言うのか。私はそんなにおかしな事をしているのか。元々余裕の無かった心にその一言はグッサリと刺さり、言い合いに発展していく。

「ほら、おかしい! (頭が)おかしいよ!」

 声を荒げてしまったのは悪かったと思うけれども、子供の頃からよく言われてきた言葉、「おまえはおかしい」。確かにおかしいんだろうな。歪んで育ち、そして老いていくのだろうな。でもどうしてそうなったのか、考えた事があるだろうか。若い頃は考えた事もなかった。私はこの人にどう育てられてきたのか。

 一方で母は舌打ちをし、「もう喋らない!」と忌々しげな顔で私物の整理を始める。そう、昔からいつもそう。舌打ちは当たり前、物に八つ当たりするのも当たり前、無視するのも当たり前。ビリビリと紙を破り捨てている母を遠目で見ながら立ち尽くす。いい大人なのに、どうしても顔色を窺ってしまう。私の根底には「母の機嫌を損ねたくない(損ねられない)」という気持ちがヘドロのようにこびり付いているのかもしれない。

 子供の頃の自分であったら泣いていた。ワーワー大泣きして許しを請うた。そうしないと見捨てられる、という気持ちもあったのかもしれない。でも今は違う。違うのに、どうしても現状をどうにかしないとと思ってしまう。

「おめ(お前)と話すとこうなるんだな」

「ずっとこうなのか」

 昔は言われなかった言葉だ。私が「この状況はおかしい」と思って反抗したら言われるようになった。ずっと大人しくて従順で兄のように奔放ではないからこそ、価値のある私だったのだろうか。父の葬儀の時「(性格的にも)兄とは一緒に住めない」と口を尖らせて母は言っていたが、何故私とは一緒に暮らせると思ったのだろう。

 怒るといつもそういう風にしてるよね。と、指摘してみる。母は更に怒った。私が何故傷付いたのか言ってみると、「そうやって! いつまでも根に持つ!」と罵られた。30分以内の出来事なのに。そして悪気は無かっただの、そういう事は人に言うものじゃないだの、普通はそんな事なんか思わないだの、そんな言い訳や罵倒やらを喰らった。そして最終的に

「悪い事をしたとは全然思ってない!」

と言い切られた。私が傷付いたと主張しても「悪気が無い」と有耶無耶にするどころか「普通はそんな事思わない、おまえがおかしい」と全面的に私が悪い事にされている。あまりにも「ずっとこうなのか」というような事を言うので「じゃあ出ていけばいいか」と言えば「嫌味か! 当て付けか!」と罵られたが、元々「出ていく!」という言葉は母も言っている。自分が言うのは良くて人から言われれるのはダメというのはどうなのだろう。「胃が痛くなるのはストレスのせいだ、おめ(おまえ)のせいだ」とまで言うが、私が受けているストレスは無かったとでも言うのだろうか。

 どうして母は一言も二言も多いのだろう。余計な事を言っては人を傷付けるのだろう。仮に自分が同じ事を言われたら嫌じゃないのかと訊いたら「平気だ!」と言い張る。今回はあまりにも色々と嫌になってしまい、母に反論していたら突然

「自分はバカだから人の気持ちなんか分からね!」

「あーあー! 分からね分からね!」

と、ちゃぶ台を引っ繰り返すように話を打ち切る。ああ、ダメなんだな。この人には何を言ってもダメなんだ。初めてそう思い、諦めた。もう何も言うまい、と。そしてこのブログが誕生し、塩の入れ忘れにより「パンの形をした何か」が出来上がり、私は車をブロックに擦ってしまった。ボロボロでダメダメな、そんな人生を振り返ってみたいと思う。